すこしだけ欠けたピアノの音色

競技プログラミング、始めました。

「知性」を身に着ける人へ、伝わってくれたら嬉しいこと

これは、競プロ界隈を賑わせたとある記事への、

僕なりのアンチテーゼです。

競プロの意義とか、儒教文化の善悪、などについては触れません。

ただ「知性」というもののあり方について、

どうしても主張しておきたいことがあって、この記事を書いています。

 

当然ながら、僕の主張が100%正しいなんてことはありません。

むしろ間違いだらけの、ただの一個人の信念です。

 

 

ですがこれを読んで、少しでも何かを感じてくれる人がいるのであれば、

それは何より嬉しいことだと思います。

 

 

僕があの記事を拝読して、ここまで熱くなってしまうのは、

それが僕の価値観と真っ向から対立するものだからです。

それは競プロに対してではなく、

「知性」とか「賢さ」と呼ばれるものに対してです。

 

 

知性とは決して、

「賢い」人間とそうでない人間を分断する道具ではなく、

あるいは難解な言葉で欺瞞を覆い隠すベールとして用いるものでもありません。

いえ、そんなものであってほしくはないのです。

 

知性とは、異なる背景を持つ他者との、

対話を可能にする素晴らしい道具です。

 

あの文章にあてられて、

「圧倒的知性のまえに自分は無力だ」と思ってしまった人がいるとしたら、

僕はその絶望を、希望へと塗り替えたい。

本当の知性というのは、人を萎縮させるものではありません。

あなたが未知の世界へと踏み込む、その手助けをしてくれるものです。

 

 

僕は田舎の、「進学校」というにはあまりに心もとない高校から

一応は「高学歴」に分類されるであろう大学へと進学しました。

高校では、「勉強ができる」という意味で僕以上の人には出会いませんでした。

けれど、人として本当に「尊敬できる」友人にはたくさん出会いました。

高校時代の3年間は本当に貴重な経験でしたし、

彼らがいなければ、僕は今ここにはいません。

 

「勉強ができる」ことが偉いことでもなければ、

「世界的な企業に入れる」ことが偉いわけでもありません。

それはどちらも、素晴らしいことではありますが、

「それが出来ない人を否定する」ものでは、断じてあるわけがないでしょう。

 

人にはそれぞれ、得意なこと、苦手なことがあります。

当たり前ですが、そのうちの一つを取り上げて、

「人間の価値」を定めることなど、してはいけないと思うのです。

 

 

なぜ、競プロアカウントでこんなことを書くのか。

それは、99%の自己満足を抜きにすれば、この界隈に

「高学歴」あるいは、そうなるであろう学生さんが多いからです。

 

あなた方は、人よりも「賢い」ですし、

より高度な「知性」を身に着けた素晴らしい存在になっていきます。

その素晴らしい能力を、

「自分の思想を人に押し付けること」や

「他者を欺くこと、あるいは見下すこと」には、

どうか使わないでいてくれませんか。

 

賢さがあれば、「一見理解しがたいもの」を

かみ砕いていくことができます。

それは自然界の法則であるかもしれませんし、

誰かの深遠な言葉であるのかもしれません。

 

知性とは、対話です。

対話を通して起こるのは、価値観の相対化です。

今まで常識だと思っていたもの、

それは学問の世界でそれまで正しいと信じられていた理論であったり、

自分自身の中にある価値観だったりしますが、

それは永遠の真実では、おそらくありません。

それと異なる実験事実や、言説などに出会ったとき、

それらを冷静に見つめて紐解き、

それまでの「常識」を

むやみに信じ続けるのでも、全否定してしまうのでもなく

アップデートすることによって、我々の知見は広がり続けるのです。

 

その先に見える世界は、きっと面白い。

あなた方の身に着ける能力が、

この先あなた方の助けとなり、

そして他者へも勇気を与えるものであることを祈ります。